もし、子育てをやり直せるなら
「子育てをやり直せるなら」という詩を知り、原文らしきものを見つけたので和訳してみました。
“If I had my child to raise over again,”
If I had my child to raise over again,
もう一度、最初から子育てをやり直せたならI’d finger paint more, and point the finger less.
指が擦り切れるくらい、一緒にフィンガーペイントでお絵かきするI’d do less correcting, and more connecting.
あら探しばかりしていないで、子供の気持ちを理解しようI’d take my eyes off my watch, and watch with my eyes.
時計ばかり見るんじゃなくて、子供を見つめていようI would care to know less, and know to care more.
子供の気持ちを知るだけじゃなくて、労りの心を持とうI’d take more hikes and fly more kites.
ハイキングに出かけて、凧を上げようI’d stop playing serious, and seriously play.
深刻に遊ぶのではなく、本気で遊ぼうI’d run through more fields, and gaze at more stars.
一緒に野原を走り回って、星空を見上げようI’d do more hugging, and less tugging.
子供を引っ張りまわすのではなく、もっと抱きしめようI would be firm less often, and affirm much more.
安定ばかりを求めずに、子供の意思を尊重しようI’d build self-esteem first, and the house later.
子供の自尊心を尊重しよう、家を建てるのはその後だI’d teach less about the love of power,
権力や富の力よりもAnd more about the power of love.
愛の力について語ろう。It matters not whether my child is big or small,
子供はいつまでも、自分の子供なんだからFrom this day forth, I’ll cherish it all.
最初からやり直す?、今この瞬間から子育てをすればいい
日本語訳はダイアンルーマンズで検索するとたくさん出てきますが、終わりの2節がないものが多いですね。
Diane Loomansは、「子育てをやり直したい?大丈夫、今からでも十分間に合うから、いくつになっても自分の子供は自分の子供だから」と言っています。
これを読んで、このコピペを思い出しました。
10年後にはきっと、
せめて10年でいいから戻って
やり直したいと思っているのだろう。今やり直せよ。未来を。
10年後か、20年後か、50年後から
戻ってきたんだよ、今。