Jerry Santos “Through My Grandma’s Eyes”
ジェリーサントスのスルー・マイ・グランマ・アイズ
先日、嫁さんのおばあちゃんが亡くなりました。
享年95歳。大往生でした。
私が初めて会った頃は、7、8年前くらいでしょうか?ゲートボールが好きな活発的なおばあちゃんという印象でした。
嫁さんの実家は農家をやっており、夏に畑の手伝いをしにいくのですが、おばあちゃんの部屋に遊びに行くのが密かな楽しみでした。
嫁さんは、ことあるごとに「私はおばあちゃんに育てられたから」と言っています。
幼少の頃、両親は農作業で忙しく、代わりを務めていたのでしょう。
私たち夫婦に子供が生まれた時、ひいおばあちゃんに見せるのを楽しみにしていました。
ところが出発前に子供が熱をだしたり、なかなかタイミングが合わずに結局見せることができないままになってしまいました。
「後悔先に立たず」
「孝行のしたい時分に親はなし」
ことわざはいつも正しい。
おばあちゃんは、いつも通り夜中に布団に入り、翌朝に亡くなっていたそうです。
こんな事をいうと、勝手なことを言うなと叱られるかもしれませんが、病気で苦しみながらというよりは理想的な最期なのかと思いました。就寝したまま永遠に目覚めない最期というのは。
当たり前ですが、私たちの両親は普通に考えれば自分より先に亡くなります。
このことは漠然と覚悟していました。
本当は子供と育児のことのエントリで書きたかったのですが、私は2年前、甥を亡くしています。生後6ヶ月でした。
SIDS(乳幼児突然死)という言葉はたまにニュースで見かけます。
でもまさか、自分の身近でそんなことが起こるとは予想していませんでした。
以来、真夜中に目が覚めて、涙が止まらないまま朝を迎えることが2ヶ月くらい続きました。
悲しみと同時に、自分より若い命も失われることを実感し、怖くてたまらなくなりました。
それからは自分の子供が昼寝している時、気になって何度も寝室をのぞきました。
寝顔に耳を近づけて寝息を確認してから、ようやく仕事にもどることができたのです。
「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」。そしてその答えがいいえであることが長く続きすぎるたびに、私は何かを変える必要を悟った。
これは、有名なSteve Jobsのスタンフォード大学でのスピーチです。
このスピーチでは「今日が(自分の)人生最後の日」としていますが、同時にそれは「大切なあの人の最後の日」と置き換えることもできるのだなぁと考えさせられました。
年中そんな覚悟をしていては疲れますし、私には無理ですが、相手に腹が立った時など少し冷静になって考える余裕があればいいなと思います。
家族を、毎日を一緒に過ごす人を大切に。
ひょっとしたら、突然逢えなくなってしまうかもしれないのだから。